アクセス制御 広島と長崎 原爆の日 風化する記憶と受け継がれる記憶。 | ヘゥンのタカの疾風!ぶろく伝。w
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原爆投下の悲劇から66年目の
2011年夏、広島そして長崎で
平和記念式典が開催された。

東日本大震災での未曾有の原発事故が
依然、終息が見えない状況での
平和宣言には国のエネルギー政策に対する
方針と姿勢の転換を求める
切実な意見が宣言文に垣間見られます。

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66年目の広島原爆の日 
市長「エネ政策再考を」


BLOG20110806.jpg

広島は6日、戦後66年の原爆の日を迎えた。
広島市中区の平和記念公園で平和記念式があり、
約5万人(市発表)が参加。
原爆投下の午前8時15分に合わせ、黙祷(もくとう)した。
東京電力福島第一原発事故後、初めての「8・6」。
松井一実市長は平和宣言で、
「事故が原発に対する国民の信頼を根底から崩した」と述べ、
国にエネルギー政策を早急に見直すよう求めた。

過去最多の外国代表が集った昨年より
8カ国少ない66カ国と欧州連合の代表が集った。
原爆を投下した米国は2年連続の参加で、
出国中のルース大使に代わり
ズムワルト臨時代理大使(首席公使)が参列。
核兵器保有国では英仏両国とロシア、
事実上の核保有国イスラエルも参列した。

4月に就任した被爆2世の松井市長は、
初めて公募した被爆者の声から
男女2人の体験を平和宣言の冒頭で引用。
「被爆者は核兵器のない世界を願い、
毎日を懸命に生き抜いてきた」と思いを代弁した。

さらに福島原発事故に触れて
「放射線の脅威は多くの人々を不安に陥れた」と指摘。
「核と人類は共存できない」との立場から
脱原発を主張する人々と、原子力管理の厳格化と
再生可能エネルギーの活用を訴える人々がいる、
としてエネルギー面で具体的な対応策を講じるよう国に求めた。

菅直人首相もあいさつで
原子力の「安全神話」を深く反省するとして、
「原発への依存度を引き下げ、
『原発に依存しない社会』を目指す」と述べた。

式では前日までの1年間に亡くなった
5785人の氏名が記載された名簿を、
松井市長と遺族代表が原爆死没者慰霊碑に納めた。
厚生労働省によると、3月末現在、
被爆者健康手帳を持つのは21万9410人で、
前年より8155人減った。
平均年齢は前年より
0.71歳上がって77.44歳になった。

(6日付け朝日新聞記事より)


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長崎市長、脱原発訴える 
原爆の日・平和宣言


BLOG20110809.jpg

長崎は9日、戦後66年の原爆の日を迎えた。
長崎市松山町の平和公園で市主催の
平和祈念式典があり、田上(たうえ)富久市長は
「原子力にかわる再生可能エネルギーの
開発を進めることが必要」とする平和宣言を読み上げ、
被爆地として脱原発へ踏み出す考えを表明した。

原爆投下時刻の午前11時2分、
黙祷(もくとう)が捧げられ、
続いて田上市長が平和宣言を読み上げた。
東京電力福島第一原発事故を受け、
「『ノーモア・ヒバクシャ』を訴えてきた
被爆国の私たちが、どうして再び放射線の恐怖に
脅(おび)えることになってしまったのか」
「人間の制御力を過信していなかったか」と指摘。
「長期間を要するとしても、より安全な
エネルギーを基盤にする社会への転換」が必要として、
脱原発を目指す考えを示した。
核兵器廃絶、北東アジアを
非核兵器地帯とする構想の実現も訴えた。

原発事故を受け、今年の平和宣言で
「脱原発」を盛り込むかが最大の焦点だった。
田上市長は、産業や市民生活への影響に対する
議論がないとして「脱原発」に踏み込むことには
慎重だったが、最終的には「原子力にかわる」という表現で
脱原発を目指す宣言を読み上げた。
宣言文を練り上げる学者や被爆者らの起草委員会での議論を経て、
「二度とヒバクシャを生み出してはいけない」との
市民の声に背中を押された。
「原発ゼロへのプロセスは私もまだ分からない。
でも、最終的にシンプルに、うそのない原点に
立ち返ろうと思った」と田上市長。
「ヒバクシャを絶対につくらない、
その道の行き着く先は原発ゼロだ」と言う。

式典には、
原爆を投下した米国から
ズムワルト駐日臨時代理大使(首席公使)が
政府代表として初めて出席。
このほか、核兵器保有国の英、仏、ロシアを含め、
過去最多の44の国や欧州連合の代表が出席した。
東日本大震災で被災した
福島県いわき市の中学生43人と
福島市の瀬戸孝則市長も参列した。

菅直人首相は
「原発への依存度を引き下げ、
『原発に依存しない社会』を目指す」とあいさつした。

式典には約6千人が出席した。
この1年間に死亡が確認された
3288人の名簿が奉安され、
長崎原爆による死没者は
累計で15万5546人になった。

(9日付け朝日新聞記事より)


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しかし・・・その一方で
当時を知る当事者の高齢化は進み
年齢は平均、60代から70代後半近く
当時の記憶の風化も静かに進みつつ在ります。

それでも、当時の記憶を語り継ぐ事に
情熱を持って取り組む人達の努力に
耳を傾ける戦争を知らない世代も
確実に記憶を受け継ぎつつ在るのも事実です。

微力と地道ですが平和への思いと
同じ過ちを決して二度と繰り返さない為に
信念を持って記憶の継承に取り組んでいます。

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被爆の祖母、孫に渡す「平和」のバトン 
-9日長崎原爆忌-


長崎原爆の日(9日)を控えた
長崎市の平和公園で8日、
平和祈念式典で犠牲者に捧げる水を
小、中、高校生が園内の「平和の泉」からくんだ。
高校生代表は被爆体験の語り部、
下平作江さん(76)の孫、
結依さん(16)=同市立長崎商高2年。
肉親には面と向かって体験を語れなかった祖母は今、
「ようやく孫にもバトンを手渡せた」という思いでいる。

下平さんは、爆心地から800メートルの
自宅近くにあった防空壕(ごう)で被爆。
母、姉、兄を失った。助かった妹も10年後、
列車に飛び込んで自ら命を絶った。
翌日、妹の後を追おうと下平さんも
線路際に立ったが、怖くてできなかった。
どんなにつらくても、家族の分まで生きると決めた。

「二度と被爆者をつくりたくない」と語り部を始め、
これまでに30年を超え、
1万回以上、体験を語ってきた。
年に300回以上、話をしたこともあるが、
家族には話さなかった。
失った親やきょうだいのことを、
家族に語るのは苦しすぎた。

結依さんが中学2年の時だった。
下平さんは結依さんが通う
中学校から講話を頼まれた。
「いい機会がやってきた」と思った。

生徒の一人として講話を聴き、
結依さんは絵本で読んだだけだった
祖母の半生を初めて詳しく知った。
つらくとも生きると祖母が決意したから、
今の自分がいると知った。
祖母には「私たちの代でも、
平和について訴えていかないとならない」と
手紙を書いた。

今年の夏休み前、
高校で式典の参加者を募った時は、
真っ先に手を挙げた。
「平和を訴えてきた
おばあちゃんの力になりたい」と結依さん。
下平さんは
「生きたからこそ、
思いが孫に伝わった」と感じている。

(9日付け朝日新聞記事より)


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今だからこそ、戦争を知らない世代で在る
私達の世代が過去の声無き声の記憶に
真摯且つ真剣に耳を傾けなければ為りません
そして・・・
そこから何かを学び取る事こそ
風化する記憶を風化させない為の
重要な責務だと私は強く思います。

残された時間は後僅か・・・
もはや猶予は出来ません・・・

私達の世代に何が出来るのか・・・?


一人一人の姿勢と行動が今、試されています。


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